最終更新日:2025年8月20日
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ポケコンとは、ポケットコンピュータの略です。
工業高校生のタフな使い方に耐え、標準学生服のズボンの横ポケットならギリギリ何とか入りそうなサイズの筐体、QWETYキーボードとテンキー、モノクロ液晶画面を持ち、乾電池で長時間稼働し、BASICでプログラミングができ、工業高校向けならば入出力ポートも備えています。
2000年代前半(2000-2004年)までの工業高校では、小型コンピュータによる自動制御として、現代ならばワンボードマイコンのArduinoやRaspberry Piなどで行うことをポケコンで行っていました。
では、なぜArduinoやRaspberry Piを使わないのか?
それは2000年代前半にはArduinoやRaspberry Piは存在しなかったからです。(Arduinoの登場が2005年、Raspberry Piの登場は2012年)
ポケコンはそれ一台でプログラミングから入出力まで完結し、乾電池で動作するコンピュータです。
Arduinoは開発環境であるArduino IDEを実行するパソコンが別に必要で、Raspberry Piはモニタ、マウス、キーボードが必要です。
また、Arduinoが登場する以前から、PICやH8といったワンチップマイコンは存在しました。
しかしそれらは開発環境が動作するパソコンの他に、アセンブルやコンパイルで生成された実行コードを書き込む「ライタ」と呼ばれる専用装置が必要で、高校の授業で扱うには敷居が高かったのです。
今のように「一人一台、マイコンをプログラムでき、USBポートを備えたタブレット・ノートパソコンを持たせる」ことが非現実的だった時代、BASICプログラミングに対応し、CMOSレベルの入出力ポートを備えるポケコンは、当時は現実的な選択肢だったのです。
私は愛知県東三河で生まれましたが、父の仕事の都合で幼稚園年中から小学2年まで千葉県の東京寄りに住んでいました。
無理やり言葉にするならば「Uターン確約転勤」です。
父は秋葉原まで最寄駅から乗り換え1回という地の利を生かし、電子工作にはまりつつありました。
コンピュータ(パソコン)にも興味があったようですが、当時の国民機であるNECのPC-9801シリーズは平均的な20代サラリーマンの給与1ヶ月分を優に超えるお値段で手が出ず、ポケコンで諦めようと考えたようです。
まだ幼かった私を連れ、秋葉原の電気街をしらみ潰しに回っていた記憶があります。
現在では考えられないでしょうが、バブル崩壊前の秋葉原は萌えの街ではなく、コンピュータと電子部品の街でした。
父が選んだのは、カシオPB-500。(画像外部リンク)
この機種の特徴は、メインメモリ(補助記憶も兼ねる)が差し替え可能なカード型になっており、メモリが足りなくなったら空きスロットにメモリカードを追加したり、1つのプログラムでデータを入れ替えて扱う際にスロット0をプログラムに、スロット1をデータにという使い分けができることです。
私も強烈に興味を持ったのですが、買ったばかりのポケコンを未就学児だった私に触らせてくれるはずもなく、月日が経つにつれて私もポケコンの存在を忘れていきました。
時は過ぎ、あれは確か小学4年生の頃。
居間のテレビ横の本棚兼戸棚の上段は、父のプライベートスペースでした。
まだ背が届かない子供に触れられたくないものをしまっておくには絶好の場所で、私にとっては開けられない宝箱のような、中を見たいのに届かない憧れの場所でした。
ある日、ノギスが必要になり、それが戸棚の上段にあることを知っていた私は、父に貸してもらえるよう頼みました。
(父のノギスはバーニア目盛りではなくダイヤルゲージ式で、予備知識の無い小学4年生でも測定値を直読できた)
戸棚の上段にあるから自分で取れと言われ、ダイニングから椅子を持ち出し、ノギスを取り出しました。
ノギスを物色する中で、私は見つけてしまいました。
使われなくなっていたPB-500を。
瞬間に蘇る、記憶の中のポケコン。
それ以来私は、父の目を盗んではポケコンを取り出し、操作方法もわからないのに触りました。
父の目を盗んで触ることがいつまでも続くことはなく、ある日、ポケコンを触っているところを父に見つかりました。
叱られる と思いましたが、もう使っていないしそんなに欲しいなら自由に使いなさい と言われ、思いがけぬ形で「自分のポケコン」を手に入れることができました。
取扱説明書とサンプルソフトウエア集を兼ねる「活用ハンドブック」も譲り受け、モンチャンロードという簡単なゲームをポチポチ打ち込むことから始めました。
これが私の初めてのプログラミング経験です。
リストを写すことがプログラミングと呼べるかどうかは置いておき。
モンチャンロードを打ち込むことで、基本的なBASICの命令を覚えることができました。
当時私の周辺ではダービースタリオンが流行っていたので、モンちゃんロードを改造し3頭の馬のどれが1着になるか当てるゲームを作りました。
当時の私は競馬を知らなかったので、1着を当てたら賭け金が倍になって戻るという仕様で実装しました。
これを同級生にプレイしてもらったら「こんなの競馬じゃない」と言われ落ち込んだ記憶があります。
単勝だの馬連だのオッズだの、たまにパチンコに行くくらいしかギャンブルをしない父の元で育った人間が小学4年生で知っている訳がない。(当時三連単はありませんでした)
確か小学6年生の時、ポケコンを持って外に遊びに行った際に手を滑らせ、ポケコンを地面に落としました。
機能的には問題なかったのですが、ディスプレイ表面の保護ガラスにヒビが入りました。
しばらくはヒビが入ったまま使っていましたが、新しいポケコンが欲しくなり、お年玉を握りしめ精文館書店本店に行きました。
そこにはカシオ2機種、シャープ1機種のポケコンが。
カシオはPB-500が発売されて以降5年以上経っているのにデザインがほとんど変わっておらず、シャープ(PC-E650)はより洗練されており、何よりフラップ式のハードカバーがある。
ディスプレイもカシオが2行なのに対して、PC-E650は4行ある。
私はシャープPC-E650を選びました。
はじめはカシオとの流儀の違いに戸惑いました。
プログラムの保存と呼び出しはSAVE、LOAD命令を使わなければならない。
マニュアル計算するときはRUNモード、プログラムの入力・編集はPROモードにしなければならない
BEEPは音程や音長を自在に指定できるが、音量が小さい などなど。
しかしそれらはシャープを選んだ以上、自分が適応しなければならない。
画面が広く、スクリーンエディタはパソコンのメモ帳のようにカーソルの移動が自由で、違いに慣れるのは時間が解決しました。
中学1年時、電話帳というプログラムを作りました。
私が中学1年の時は、携帯電話は今のように手軽に持てるものではなく、月に何万円も払ってリースするしかなく、大きさも家庭用コードレス電話機の子機ほどありました。
記憶できる名前と電話番号は20件ほどでしたが、当時はそれで十分事足りました。
しかしそれ以後ポケコンで何かを組むということはほとんどなくなり、PC-E650はあまり使われなくなりました。